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浅井郁子

無理をし過ぎない


家族の介護は無理をするから、介護以外のことは「無理をしない」と思うようになった。 無理をしないことが正しいことかどうかはわからないけど。

無理をしないというのは、こうしたほうがいいはずとか、こっちの方が正しいはずとか、そういう物差しを基準にしないこと。 仕事ではそういうことも大事なんだけど、プライベートではもうあまりそうしないの。 それが介護を通して得たものかな。

仕事で手は抜かないようにしている。 それでも、無理はし過ぎない。 体を壊したら意味がないからね。 壊れちゃいけないよ。 趣味やプライベートではもう無理はしない、ええかっこしないということ。

父の介護は短かった。でも、濃かった。 認知症介護の大変さは、うちの場合は初めの1,2年だけで。 途中で父は脳梗塞を起こして失語症になったから、そっちのほうが私には大きな影響があったのね。 大変さではなくて、影響の大きさとして。

話せない、文字がわからない、人とのコミュニケーションがことばを使ってできない。 80年生きてきて、初めてそれも一瞬のうちにそうなった父。 あんなにおしゃべりが好きで、活字中毒で、とにかく言葉というものが大好きだった人なのに。 想像すらできないことに、私は「まいった」のだと思う。

今考えると、父の代わりになる!と言うのが私のすべてのモチベーションだった。 私が父の代わりにできそうなことや考えうることは全部しようとした。 そのために無理をしたのね。 でも、無理をしたかったんだね。 その時に、「他のことは無理をしなくてもいい」と思い知った気がする。

無理をしないということは、外に向って何かを宣言をしないということでもあります。 他人には、自然に、勝手に、判断してもらえればいいという感じ。 仕事においても、趣味においても、プライベートのいろいろな場面でも、そういうスタンスになりましたね。

介護を経験して、いちばん変わったことはこれかな。 無理をし過ぎないことです。


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