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浅井郁子

高齢者の話し相手


昨年、「おひとりさまもこのまちで、安心して最期まで暮らそう」 というテーマのフォーラムに、民生委員としてパネリストとなり参加した。 テーマのサブタイトルは「ご本人の思いに寄り添える地域を目指して」 でも私は「ご本人が地域に寄り添うことが大事である」と話す。

おひとりさまの高齢者とのかかわりの中で感じること それは「淋しさ」「漠然とした不安」「孤独」をみなさんやはりもたれているということ。 だから「だれかと話をしたい」「だれかと繋がっていたい」と皆さん思っている。 けれども、ここが肝心だが、話す相手やつながる相手は“誰でもいいわけではない”。 「話をしたい」相手は、自分の話をただ聞いてくれる相手ではない。

高齢者サロンなどの居場所づくりが盛んに行われている。

そこに行って高齢者同士でおしゃべりするのは楽しいもの。 でも、自分から足を運べない方も多い。 「どんな人が来ているかわからないから不安」 「用意された場所に行くのは誰かの支援を受けているイメージがあってイヤ」 「そもそも高齢者ばかりが集まるところに魅力を感じない」などなど。

じゃあ、例えば同じ趣味をもっている人と話すことができたら? 共通の話題で盛り上がることができたら? 自分が知っていることを教えられるような相手と話すことができたら? そう思っているように感じることがある。 訪問したときに、長年されている趣味の話を、手作りされた物を、以前していた仕事の話を、嬉しそうに自慢げにされる高齢者が多いから。

考えてみたら当たり前のこと。 長く生きてこられているのだから、お年寄りには何かしらのストロングポイントがある。 それを認め合うことができて、つながりをもつことができたら、高齢者の方々はほんとに生き生きとなるのではないだろうか。 それは「支援」といったものではなくて「対等な関係」のような。 もしくは、高齢者のほうが「指導者のような立場になる関係」のような。 高齢者の話し相手には、マッチングがとても重要だと感じる。


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